キキョウ 桔梗 ききょう 金沢から日帰りの距離に咲く花

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嘔吐、胃腸炎、下痢

キキョウ「桔梗」(キキョウ科)
Platycodon grandiflorum

 背景の小さい白い花はドクダミ。
 草高80cm。花径5cm。園芸種。
2002.07.07石川県小松
万葉集別説:
 「ヒルガオ説」「ムクゲ説」「アサガオ説」等々、ナンヤカヤとアサガホの花の名前の特定が出来ない。
 キキョウ説が一人歩きしているようです。

万葉集の花植物  万葉集の花リスト
安佐我保能・朝貌乃(枕詞)
朝杲・朝貌乃花・朝容貌乃花
萬葉集總索引單語編 正宗敦夫編(白水社版)13頁

詠み人知らず
朝杲
朝露負咲雖云暮陰社咲益家禮
朝がほは朝露負ひてさくと雖云(イヘドモ)△ゆふかげにこそさきまさりけれ
萬葉集新考第四・巻10 井上通泰著(國民圖書)2089頁より

山上憶良
山上憶良詠秋野花二首
秋野爾咲有花乎指折可伎數者七種花
秋の野にさきたる花をおよびをりかきかぞふればななくさの花芽之花乎花葛花瞿麥之花姫部志又藤袴朝貌之花
はぎが花を花くずばななでしこの花、おみなべし又ふぢばかま朝貌の花

萬葉集新考第三・巻8 井上通泰著(國民圖書)1569頁より


 下の萬葉集新考 井上通泰著説明文では、アサガホはヒルガオではないかナァー?(ヒョットしてキキョウ?又はリンドウかも?)としています。

万葉集説明文:
(この色とサイズのカタカナは、千華図鑑が現代読みで原文に補足)

 このアサガホを先哲(カシコイセンジンタチハ)或は牽牛子(アサガオ)とし或は木槿(ムクゲ)とし或は桔梗(キキョウ)とし或は旋花(ヒルガホ)とせり。岡不崩氏の阿佐加保源流考にいへらく
 山上憶良の秋野花の詠歌中なる阿佐加保は牽牛花に非ざることは岡村氏の説の如し。即牽牛花は漢種なれば野生することなき筈なり。中略。
 而も木槿ならんとの説に対しても非認するに躊躇せざるべし。そは木槿も亦漢種にして我國に自生せざればなり。ヽヽヽしかも木槿は木類なり。
 之によりて此朝貌の花は牽牛花にも非ず木槿花にも非らざること知らるべし。然れども此歌の朝貌は何か或一種の草花を指したるものなるかは論を待たざるなり。されば田中道麻呂、藤井高尚、高田興清等は桔梗なりとし狩谷斎、岡村尚謙等は旋花なりと云へり
 桔梗を阿佐加保とせる論者は新撰字鏡の和訓を以て唯一の論拠とせるが如し。ヽヽヽその論拠の最薄弱なるを知るべし

 予は萬葉以後に於ける阿佐加保は牽牛花の和名なりと断言するを得るも萬葉集中の阿佐加保は遺憾ながら未其何たるかを考究すること能はず。ただ或は旋花ならんかと私考するのみなり。
 或は桔梗なるか或は龍胆花(リンドウ)にてもやと思はるれどいかがにや。岡村尚謙等の旋花説は古典に就ての考証は得べからざるも事実に於て或は然らんか
といへり。右の説に加ふべき事はなけれど、なほ私案を述べむに牽牛子と木槿とは我那にては野に生ふるものにあらず。又牽牛子こそ古書(但延喜以後)にまさしくアサガホと見えたれ、木槿をアサガホとするは朗詠集に槿といふ題の下に牽牛子の歌を録したるが始にてそれより以前に木槿をアサガホと訓める書なし。されば今の歌のアサガホが木槿にあらざるは勿論牽牛子にあらざる事は明なり。次に桔梗は古今集物名に
 きちかうのはな 友則 秋ちかう野はなりにけり白露のおける草葉も色かはりゆく
とあり。又本草和名以下にアリノヒフキ(又ヲカトトキ)とあり。かくアリノヒフキといふ和名のあるに拘はらずキチカウといへるはいかにといふにアリノヒフキといふ名は雅訓ならざれば、あてなる人たちは之を嫌ひて寧漢名をやはらげてキチカウと云ふを好みしならむ。こヽに新撰字鏡に桔梗 阿佐加保又云岡止々支 また同享和本に桔梗 加良久波又阿佐加保 とあり。アサガホを桔梗とする人等は之を唯一の証としたれど元来字鏡は打任せて信ずべき書にあらざる上に字鏡の著者は果して漢語の桔梗が如何なる物なるかを詳にして和名を充てしにやいとおぼつかなくおぼゆる事あれば此書のみによりて物の名を定めむは極めて危き事なり。
 因にいふ。字鏡に阿佐加保又云岡止々支とあるは必しもアサガホ一名岡トトキといふ意に解すべからず。漢語の桔梗は那語のアサガホに當り又岡トトキに當るといふ意にも解すべし

 次に旋花は本草和名以下にハヤヒトグサ(一名カマ)とありてアサガホの訓なし。されば信ずべき古書(本草和名以下)にアサガホと訓めるは牽牛子の外にある事なし。然もその牽牛子は野生するものにあらねば今の歌のアサガホを牽牛子と認むべからざるは前にいへる如し。思ふに本集に見えたるアサガホはなほ旋花の事にて初此花をアサガホといひしを牽牛子西土より渡り来りしに其花旋花に似たればそれをもアサガホといひし程にアサガホの名は終に牽牛子に奪はれしにぞあらむ。但アサガホの名が牽牛子の専有にとなると共にそれに対して旋花がヒルガホと名づけられしにはあらじ。ヒルガホといふ名の古き書に見えざるを思へばヒルガホといふ名は遥に後になりておほせしならむ。即アサガホが旋花の古名なる事を忘れたる世になりてただ牽牛子に似て日中を盛とさく花なればヒルガホと名づけしならむ。後略。
萬葉集新考第三・巻8 井上通泰著(國民圖書)1570頁より

 「朝顔の紺の彼方の月日かな」(石田波郷)。一年草なのに、朝顔の花色はどこか歳月の流れを映しているようにみえる。旧暦の七夕のころ、先祖を迎える月遅れのお盆の時期に、花をつけるからだろうか。別名を牽牛花(けんぎゅうか)という。
 古来、朝顔は美しい女性にたとえられ、「朝の容花(かおばな)」と呼んだ。初代の朝顔の正体は、日本の山野にあった桔梗(ききょう)。万葉集に出てくる朝顔はみな桔梗である。その後大陸から木槿(むくげ)が渡来して朝顔の名を奪い、さらに、平安時代中期に薬用植物として輸入された牽牛子(けにごし)が、それに取って代わり、現在に至るという。
 朝いちばんの花の座をめぐる交代劇は、花の美しさについてさえ、定まりなく移ろう人の世の実相かもしれない。江戸時代には盛んに品種改良が行われ、牽牛子は三代目朝顔としての地位を固めた。華やかで涼やかな花色は増えたが、それとは別に初秋の朝顔は独特の情感をたたえて咲く。
 「朝顔に喪服のひとのかゞむかな」(滝井幸作)。西洋朝顔の透き通るような青色は、天上の青と呼ばれる。過ぎた日々と悲しみの記憶・・・。命をめぐる様々な思いが交錯するこの季節、朝顔の花は秋の風に揺れて少し首をかしげている。今、総選挙へ向けてのうねりやどよめきが行き交う中で、見極めるべきものを指し示すように・・・。
2005.08.18日本経済新聞「春秋」欄より転載

万葉集説明文追加:
 前略。本集にアサガホといへるは今いふヒルガホなる事巻8(1570頁以下)にいへる如し。さてその朝顔は夕照の頃にはしぼむものなるをユフカゲニコソサキマサリケレといへるは如何。藤井高尚の松の落葉巻二には
 アサガホとはあしたにさくかほ花をなべていへるにてひとつの草の名にはあらず。ヽヽヽまづ新撰字鏡に桔梗カラクハ又云アサガホとあるもその証なりといひ、さて
 萬葉集十の巻の歌にアサガホハアサツユオヒテ云々といへるも桔梗なりといへるを神谷永平のかける松の落葉追考には
 清水翁(○宣昭)の物語にユフガホハといふ下の一句をおとしたるにて旋頭歌ならんといはれき。めづらしくおもしろくおぼえつヽ本書を見るに旋頭歌もある巻なればいとよくあたれるを前後短歌にて旋頭歌は別に標したれば萬葉集撰ばれたる以前に一句をおとせるなるべし。本文に暮杲(ユフガホハ)の二字を補はまほし。暮二字あれば見まがへおとせる事常に多し
といへり。此説よろしげにきこゆれどユフガホといふ語、本集はもとより奈良朝以前の書に見えざればうべなひがたし。斎藤彦麿の片庇巻七には
 萬葉集にアサガホハアサツユオヒテ云々とある朝顔はユフカゲニサクといへるに迷ひて或は日あたりなき山蔭などには夕方にさく事も有べしといひ或は槿花の一日の榮朝に咲て夕に落るといへる木槿也といへる説も有。みなよくも弁へざるおしはかり也。こは萩の歌あまたある中の一首也。朝ガホハアサ露オヒテ咲トイヘド此ノ萩ノ花ハユフカゲニコソ咲マサリケレと云義也。眼前萩を見ながらよめるなれば後世の題詠とは趣異也
といへり。即彦麿はアキハギハなどいふべき四五句の主格を略せりとせるなり。主格を略せる例は近くは巻九にも
 明日のよひあはざらめやもあしひきの山彦とよめよびたてなくも
上にも
 ぬばたまの夜ぎりがくりてとほくとも妹がつてごとはやくつげこそ
とあり(巻六1124頁及巻七1335頁参照)。されど此等はサヲシカハ、道ハといふことを略せること直に知らるヽを今は上にアサガホハとあるよりそが四五までかヽれるやうに聞えて第四句の前にアキハギハといふことを略せりとは聞えず。辞を換へて云はば例に引ける歌の主格は略すべく今の歌の主格は略すべからず。されば此歌はもと
 あさがほはあさつゆおひてさくといへども、あきはぎはゆふかげにこそさきまさりけれ
といふ旋頭歌なりしが神谷永平のいへる如く本集編纂以前に一句おちて短歌の形となれりしならむ。本集には旋頭歌の一句おちて短歌の形となれるもの少からず○アサツユ負ヒテの語例は巻八に
 さをしかの来たちなく野の秋はぎはつゆ霜おひてちりにしものを
とあり
萬葉集新考第四・巻10 井上通泰著(國民圖書)2089頁より